約 37,643 件
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/58.html
206年 建安十一年(漢) 皇帝 劉協(漢献帝) 皇后 伏寿(琅邪郡東武県・父の伏完は不其侯、桓帝の娘陽安公主を娶る) 三公(漢) 太傅:(空席) 太尉:(空席) 司徒:趙温(前衛尉・194~208) 司空:曹操 その他の要職(漢) 太常: 光禄勳:→ 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大司馬:空席 大将軍:韓暹 驃騎将軍:張済 車騎将軍:楊奉 行車騎将軍:曹操 衛将軍: 地方官 冀州牧:曹操 荊州牧:劉表(192~208) 主な事件 建安十一年春正月、北斗に流星が有った。《後漢書孝献帝紀》 三月、曹操は并州に高幹を破り、之を捕らえる。典論にいう上洛都尉の王[王炎]は之を破り追って之を斬る。《後漢書孝献帝紀》 秋七月、武威郡太守の張猛は、雍州刺史の邯鄲商を殺す。《後漢書孝献帝紀》 この歳、故琅邪王劉容の子の劉熙を立てて琅邪王とした。斉、北海、阜陵、下邳、常山、甘陵、済北、平原の八つの国は皆除かれた。《後漢書孝献帝紀》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/sinngirudo/pages/103.html
サブクエ攻略 5人で参加できるサブクエ 始めの戦闘の後に、ルートが2つに分かれる。 1.樹林に突っ込む 2.抜け道に入る 1.は、ひたすら右下に進んでいく中で、戦闘を繰り返して終わり。 クリアまでの戦闘回数は、たしか7戦闘。 敵のHPと防御力が高いため、けっこう時間かかる。 2.は、抜け道に入って、スイッチを順番通りに押してまわって、抜け道を出ると、 最後の戦闘までをショートカットできる。 こっちの方が、飛躍的に早くクリアできる。 重要なことは、曹操の話してる内容を、きちんと読むこと。 内容は、毎回ランダム。 以下は、2.の抜け道を通る場合の攻略。 基本的に、こちらのルートだと思う。 曹操の会話に出てくるキーワードは3種類を確認。 1.兌・乾・坎 2.乾・坤・艮 3.巽・艮・兌 この3つのうちのどれかを言われるから、順番通りに対応するスイッチを踏む。 順序としては、 Aに進んで、曹操と話す。 上の順番通りに3つスイッチを踏む。 Aに戻って、曹操と話す。 戦闘に勝ってクリア。 以上 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。
https://w.atwiki.jp/san_ds3/pages/445.html
シナリオ【184年1月 黄巾の乱】何進 概要 兵数は張角に劣るが武将の質は大幅に上回る。 同じ大勢力でも張角と違って義理堅く忠誠の高い武将が多いので、空白地を安心して埋めて行ける。 名声が高く最初から4回行動できることもあって初心者でもやりやすい勢力。 張角は時間が経つと量・質ともに強大化して厄介になる一方なので、早い段階で滅亡させたい。 こちらには知力の高い武将が多いので、張角軍の太守をそそのかして独立させ、その都市を攻め取るのも有効な戦術。 一刻も早く許昌や陳留に進出し、曹操系の有能な武将を発掘しよう。 なお何進は劉備系の武将とも相性が良いので、隙を見て劉焉を滅ぼし、劉備三兄弟を家臣に加えるのも良し。 配下 都市 相性 名前 読み 成長 武力 知力 政治 魅力 陣形 特技(カッコ内は開始時には未修得) 義理 野望 冷静 勇猛 洛陽 70 何進 カシン 15 77 43 67 91 魚鱗、鶴翼 激励、(消火、収拾、伏兵、挑発、無双) 9 11 0 5 101 袁紹 エンショウ 13 81 77 49 92 鶴翼、雁行 (伏兵、挑発、潜入、遠矢、無双、火矢) 5 10 3 4 45 王允 オウイン 13 29 72 92 78 箕形、鈎行 同討、鉄壁、収拾、(混乱、反計、陣立) 14 5 6 0 40 蒯越 カイエツ 10 29 87 82 70 箕形、魚鱗 (探知、落穴、同討、激励、沈着、反計) 9 7 6 0 19 蔡琰 サイエン 3 11 76 80 85 方円、鈎行 収拾、(消火、鼓舞、傾国、治療、激励) 15 0 6 0 19 蔡邕 サイヨウ 5 23 82 87 79 方円、鶴翼 鼓舞、消火、反計、沈着、(激励、収拾) 14 0 7 0 25 曹操 ソウソウ 7 87 96 97 98 錐行、魚鱗、鶴翼、雁行 速攻、探知、(伏兵、反計、強行、遠矢) 10 15 7 7 25 卞氏 ベンシ 2 24 74 76 87 雁行、鈎行 収拾、(激励、傾国、消火、挑発、混乱) 15 0 3 5 45 劉表 リュウヒョウ 14 61 71 74 83 箕形、鶴翼 収拾、(火計、消火、鼓舞、水計、激励) 10 2 5 1 87 盧植 ロショク 12 69 84 75 85 錐行、雁行、長蛇 速攻、同討、混乱、(火計、探知、落穴) 10 3 7 3 何氏 カシ 0 51 67 73 60 八卦、鈎行、長蛇 (沈着、混乱、同討、土砂、応射、落穴) 6 13 5 1 弘農 33 皇甫嵩 コウホスウ 13 68 73 77 82 錐行、魚鱗、方円 火矢、火計、(消火、伏兵、鼓舞、激励) 7 2 3 4 37 陳琳 チンリン 10 19 84 71 56 偃月、鈎行 (収拾、火計、消火、鼓舞、激励、陣立) 9 6 4 2 27 鮑信 ホウシン 5 67 81 73 78 箕形、魚鱗、鋒矢 火矢、同討、(収拾、鼓舞、火計、特攻) 14 3 3 5 8 楊彪 ヨウヒョウ 13 41 75 74 83 方円、鈎行 消火、収拾、(鼓舞、火計、激励、混乱) 12 3 3 0 5 李粛 リシュク 7 38 69 68 55 衡軛、鈎行 鼓舞、(火計、消火、混乱、同討、収拾) 1 9 2 0 長安 88 朱儁 シュシュン 1 76 61 74 83 錐行、箕形、鈎行 同討、火計、火矢、消火、速攻、(激励) 11 5 5 4 95 淳于瓊 ジュンウケイ 13 72 58 45 69 錐行、長蛇 火計、(伏兵、火矢、奮迅、挑発、土砂) 7 9 0 4 20 鍾繇 ショウヨウ 12 8 76 92 56 魚鱗、鶴翼 収拾、(消火、同討、落穴、陣立、激励) 9 8 5 0 92 董承 トウショウ 3 74 61 54 80 錐行、雁行 同討、消火、伏兵、火矢、(強行、遠矢) 14 12 5 4 注目武将 名前 読み 忠誠 兵士数 訓練 士気 勇名 経験 コメント 何進 カシン --- 20000 70 74 4020 32000 配下に比べると寂しいが陣形や特技は悪くない。いざという時の「激励」役にも 袁紹 エンショウ 90 10000 62 66 2950 17000 武力、知力ともなかなか。陣形がもう少し良ければ理想的 曹操 ソウソウ 96 10000 72 76 2580 12000 陣形、特技、人事、外交、全てにおいて隙が無い 盧植 ロショク 100 12000 68 68 4060 28000 平地では錘行+「速攻」で圧倒的な機動力を発揮する 皇甫嵩 コウホスウ 98 14000 62 72 4000 28000 万能型の武将。魚鱗の突撃役としても活躍できる 鮑信 ホウシン 94 8000 66 72 2410 6000 魚鱗、鋒矢の両方を備える。義理堅いので太守としても頼りになる 朱儁 シュシュン 100 13500 70 72 3730 18000 義理堅いため長安の太守を任せられる 倒しておきたい相手 張角 領土が分断されている序盤がチャンス。もたもたしてつながってしまう前に倒しておこう。 何より時間が経てば経つほど強大化し、在野の文官を発掘して計略までやり始めるので放置していると危険。 頭が悪くて不忠者な武将が多いので計略にかかりやすいのが救い。 幻術・妖術は厄介なので注意。太平妖術の書を配下に与えている事があるので攻める前にアイテムの確認もした方が良い。 張角三兄弟は、捕らえても相性が悪く滅ぼしてもまず仕えないが、解放して流れてきた所を相性の良い政治力の高い武将で登用しよう。 張角三兄弟の力はあまりに強大なので殺してしまうのは惜しい。 韓馥・橋玄・孔伷 張角領を分断している弱小君主たち。 あっという間に張角に蹴散らされてしまうので、出来れば最初の月から攻略を始めたい。 大抵他国と同盟を組んでいるが、他の武将が援軍要請に行っているせいで君主1人しか戦場にいない事が多くとても弱い。 囲むなり曹操単騎で圧倒するなりして、速やかに倒す事を心がけたい。 丁原 地理的に見て成都方面の空白地を取るならば倒しておきたい相手。 倒しておけば洛陽・宛にだけ兵を配置しておけば領地を防衛可能になる。 同盟しておきたい相手 董卓 味方を増やすというよりは強大化防止策として。長期同盟してから天水を自領にしてしまえば、 董卓は西涼に閉じ込められたまま何もできなくなる(敵対度0なら計略も滅多に使ってこなくなる)。 この隙に東の領地を各個撃破で切り取ってしまおう。 孫堅 理由は董卓と大体同じ。 南の空白地を凄まじい勢いで獲得していくので、同盟して攻められないようにしつつ先に空白地を埋めて強大化を防ぎたい。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/7099.html
登録日:2012/01/22 Sun 01 21 00 更新日:2024/09/25 Wed 10 30 41NEW! 所要時間:約 17 分で読めます ▽タグ一覧 おはじき ガンダムX ドS 三国志 三国演義 三国無双 中国史 九品中正法 九品官人法 五胡十六国時代の元凶 名君 君主 外征=負けフラグ 文帝 曹丕 曹操一家 甘党 皇帝 短命 簒奪者 詩人 魏 曹丕(そうひ)とは、三国志の人物。 英雄・曹操の息子で、魏の初代皇帝。 字は子桓。 諡は『文帝』。 【来歴】 【公子時代】 187年に、曹操の三男として誕生。 生まれた当時は母が側室だった為、庶子という立場だった。 しかしながら才は幼い頃から非凡であり、幼くして文章を巧みに書き、剣術や馬術にも秀でた文武両道の人物だった。 そして197年。当時、曹操は西方にて張繍・劉表の連合軍と戦っていた。 しかしその張繍は一度曹操へと降伏した。おりしも東の呂布、東南の袁術との戦いで手を焼いていた曹操は彼らの降伏を喜び、その拠点・宛城にて彼らを迎え入れた。 ところが、曹操が張繍の叔父の未亡人と密通したため、大激怒した張繍は謀反を起こした。 油断しきっていた曹操軍は壊滅し、従軍していた曹操の第一子・曹昂が戦死してしまう。 これで激怒したのが、曹昂の養母で曹操の正室だった丁夫人。 彼女は幼くして実母に死に別れた曹昂を愛しており、女の色香に迷った挙句に死に追いやった曹操を憎み、曹操と離縁した。 これによって、曹丕の実母である卞夫人が正室に立て直され、その子である曹丕は曹操の嫡子として扱われるようになった。 曹昂のほかにもう一人、曹鑠という異母兄もいたが、彼も病気で早世したため、晴れて曹操の第一後継者となる。 その後、曹操の下、副丞相となり、曹操の留守を守るようになる。 曹操から正式に太子に指名されたのは217年。 曹操が「魏王」になったのがその前年なので、「太子」という称号がついたのはこの年ということである。 【君主時代】 220年にとうとう曹操が病没し、その後を継いで魏王に就任。 すでに漢王朝は有名無実のものとなっており、曹丕は規定コースを通って献帝に禅譲を迫り、皇帝の座に就いた。 これにより、光武帝以来二百年続いた後漢王朝は滅亡し、新たな国号を『魏』とした。 曹操=魏というイメージがあるが、曹操が存命していた頃は肩書だけとはいえ漢帝国の時代であり(*1)、曹丕の代で禅譲が起こった事で魏帝国は誕生する。 一方、曹丕が漢帝国を滅ぼして魏帝国を立てたことに触発されて、劉備は漢帝国を引き継ぐ「漢帝国(蜀漢)」の皇帝を名乗り、かなり遅れるが孫権も「呉帝国」の皇帝を名乗る。 これにより、やっと形式の上でも三國鼎立を果たし、ようやく三国時代が始まるのである。 とはいえ曹操も関羽もすでに亡く、劉備も張飛も間もなく死ぬので、ここから三国志の面白さは急速に褪せていくのだが 皇帝となった曹丕は、まず内政を整備し国土の安定を図る事から始めた。 それまで、人材を評判により推挙させていた「郷挙里選」を改め、人材を「中正官」が九つのクラスに分ける「九品官人法」を定めている。 また、官渡の戦いで唯一自分たちの味方になって助けてくれたとして豫洲の潁川郡を一年間免税している。 一方、外政では呉に対し三度の大遠征を行うが、疫病の蔓延、呉の計略、川の凍結などにより三度の遠征のすべてに失敗してしまう。 これは軍事面のみならず、外交面においても著しい失態であり、ただでさえ面従腹背を繰り返していた東呉を勢いづかせ、孫権の皇帝自称を引き起こす事となる。 その後、226年に風邪をこじらせて肺炎に陥り、40歳の若さで逝去してしまう。 皇帝に在位してからわずか七年のことだった。 曹丕の後は息子の曹叡が継いだ。 【三国演義の曹丕】 あまり変わった様子はない。むしろ地味な扱いとなっている。 そもそも曹丕自身、君主として目立ったのはわずか七年間と短い。 そのうえ、軍事面でパッとした成果を残さないというのであれば、なおのこと「三国演義」という戦記物語では目立てなくなってしまう。 曹操は恐るべき悪役・大魔王、アンチヒーロー、もしくはライバル、といった様々な属性を付与できるが、曹丕は何もないのだ。 唯一、東呉を攻撃する際に曹操同様に大船団で呉を攻めるも、徐盛の火計で赤壁の悲劇を再来させてしまうあたりが補強ポイントだが、 これも物語のメインは徐盛の活躍と、名将張遼の死の方に置かれており、身も蓋もないことを言ってしまえば曹丕は舞台装置である。 【人物】 幼い頃から優秀な人物だったと記されるが、非常に気難しい性格でもあったという。 好悪の念が激しい人物だったようで、司馬懿や陳羣など気を許した相手には身分を越えた親愛を示し、重職に付けた。 一方で過去に遺恨のある人物や気に入らない人物、肉親には非常に苛烈で、陰湿な逸話が多く残っている。 主な例として 《曹植》 曹操の後継者の座を巡り対立したこと以外に、詩の才を父に気にいられ寵愛されていた嫉妬心から色々と迫害を受ける。 曹丕が太子に指名された頃から厳しい迫害が始まり、皇帝即位頃には側近の数人が粛清されている。 (曹丕と曹植のエピソードとして有名な『七歩の詩』もこの頃だが、近年は創作であるとの見方が強い) 実際に何度か殺されそうになるが、なんとか許されて生き永らえる。 《丁儀》 曹操から縁談を考えられるほど才能溢れる文官。 しかも丁氏は曹家と非常に縁深く、丁夫人のみならず曹操の母も丁氏出身で、当然ながら曹操の旗揚げにも尽力している。 だが上述のように丁夫人との間に子ができないまま曹昂の一件で離縁することになってしまったため、曹操にとって曹丕の姉との縁談は丁氏と関係を強化する絶好の機会でもあった。 しかし曹丕が「片目が小さく醜いから姉が可哀想だ」と言ってこれを潰してしまったがために、丁儀は深く恨むようになる。 その後は曹植派の中心人物として暗躍し、讒言によって人事の要で曹丕派だった崔琰を処刑させて毛玠も失脚させる。 このため曹丕が後継者となると曹植と共に逮捕された後に処刑され、一族の男子も全て誅されてしまった。 ちなみに件の曹丕の姉だが、俗物のボンクラと名高い夏侯楙に嫁ぎ険悪な関係を築いていた(*2)という。これを伝え聞いた曹操は「やはり丁儀のほうに嫁に出すべきであった」と大きく後悔して嘆息したとか。 《于禁》 歴戦の将だが、関羽に捕まり命乞いをして生き延びた。 魏に戻った時、曹丕は表向き慰めるが同時に于禁の顛末を絵に描いてなじり、彼を憤死させる。 《曹洪》 過去に金を借りようとして断られた恨みを根に持ち、何度か殺そうとする。 結局命は助けるが、所領に爵位、財産も一時没収。曹洪が復権したのは曹叡の代になってからであった。 《夏侯尚》 寵愛する友人だったが、愛妾を目にかけているのをなんとかして欲しいと親族だった彼の正妻から相談されたため、刺客を放って妾を暗殺する。 夏侯尚は悲嘆の余り精神を病み、妾の墓を掘り起こす奇行まで犯すようになり見限る。 体まで病むようになると曹丕も彼に対する処置を後悔し再び厚遇するが、夏侯尚はその甲斐なく死んでしまう。 《鮑勛》 清廉高潔な文官。 直言をズバズバ言うタイプで何度も曹丕と衝突していた。 それでも司馬懿や陳羣が勧めるので御史中丞に渋々任命したりしていた。 ある日劉曜という人物が罪を犯したので免職するよう上奏すると、その劉曜に「鮑勛は過去に罪の見逃しをしている」と上奏し返されてしまう。この上奏を受け曹丕は鮑勛を投獄。廷尉の高柔は懲役刑、三官は罰金刑が妥当だと判断するが、この判断にも曹丕はキレて三官を逮捕してしまう。その後も前述の高柔をはじめ鍾繇、華歆、陳羣など名だたる重臣が鮑勛の父鮑信の功績(*3)などを挙げ弁護するも曹丕は処刑を強行する。 その20日後に今度は曹丕が病死するので、「もっと早く曹丕がくたばっていればもう少し処刑が遅れていれば鮑勛は助かったのに」と嘆かない者はいなかったとか。 《甄氏》 正妻も被害を受けている。 美人だからということで見初めて妻にされたのだが、当然時を経るにつれ抱かれることは少なくなり、曹丕は後宮の若く美しい娘に手を出すようになっていった。 この現状について曹丕に恨み言を述べたが曹丕はいきなりキレた。そして死を命じられた。 その名誉が回復され謚号が送られたのは彼女の子である曹叡の代になってからである。 以上の様な逸話が多く残っており、曹丕の性格は冷酷で神経質だったとされる。 しかし、幼少期から権謀術数が交錯する宮廷で育ち、なおかつ後継の座を争う兄弟が二十人以上いるという環境で育てば、ここまで苛烈になるのも頷けなくもない。 陰険陰湿といっても、歴史には彼ぐらいのは普通にいる。むしろ曹操が明るすぎるぐらいであろう。 それと曹植(*4)、丁儀(*5)、于禁(*6)、曹洪(*7)は私怨を別にしても権力や人格面、失策等で無視できない問題点を抱えていた。 曹丕自身は曹操と異なり、曹操が残した優れた親族衆や人材たちを敬わせるような軍事的実績は持っていない。政治家としてどれ程優れていようと、それだけでは血気に逸る武官がついてこない。 優れた親族衆の多い曹一族の中で自らの権威が落ちれば、親族衆による実質的な簒奪すら招く。 親族の重鎮や兄弟であっても失態は苛烈に罰することは、自前の力がない曹丕が君主権力を確立する中で避けては通れない道であったとも考えられる。 実際忠義を示した者に対しては手厚く報いたエピソードもあり、誰彼構わず遠ざけるようなタイプではない。 また、父同様にかなりの現実・合理主義者だったようで、自らの葬儀に関して「副葬品も墓の飾り立ても不要」と言い残しており、反儒教的な考えを持っていたという。 陳寿は曹丕を評して 「文学の資質には天稟といえる趣があり、博聞強記の学識と技芸の才能を兼備していた。これでこのうえ、広大な度量を加え、公平な誠意をもって努め、徳心を充実させることが出来たならば、古代の賢君もどうして縁遠い存在であっただろうか」 との文章を残している。 パッと見では「(。´・ω・)ん?」となるこの文章だが、要は、 「文学は天才で知識もあるしいろんな技や芸もできるんだけどな~、度量が広くないし、誠意が公平じゃないし、徳の心も充実してないからな~、古代の名君主には及んでないな~」 ということを言っているのと同じであり、つまり『かなり否定的な評価』をされてしまっている。 【功績と失態】 外政で3度の遠征失敗という汚点こそあるが、彼が重視した内政面においては多くの功績を残している。 国内の法制度を制定し、内政の諸制度を整え、後漢衰退の原因となった宦官や外戚の台頭を防ぐ整備を敷くなど、後漢の失敗を鑑みた政策を多く実行している。 曹丕の代で行われた内政の充実は、彼が統治している間は諸葛亮ですら下手に北伐を敢行できないほどだった。 しかし、曹丕の在位が七年と短かった為に、発足した魏国の基盤を築くには不充分でもあった。 ここでの内政の不充実が魏王朝の寿命を縮める結果に繋がったという見方も強い。 (ただ、漢の高祖劉邦も二代目の恵帝劉盈も在位年数は七年だったし、生前譲位したが唐の太祖李淵の在位年数も八年なので、短すぎもしないが……) また、親族衆の力を削ぎすぎたために後に司馬一族の台頭を親族衆が抑えられなかったとも見られている。 曹叡まではよかったが、その跡を継いだ曹芳は血筋すらはっきりしない。 曹真の息子である曹爽が後に司馬懿に敗れて曹一族が権勢を失い、司馬氏の簒奪の途ができてしまう訳だが、元々曹爽自身親族衆ではあってもそこまで近い親族ではなかった。 親族衆でさほど血縁が近くなく能力的にもイマイチな曹爽が最有力だった時点で、曹一族の力がいかに落ちていたかを示している。 【九品官人法】 曹丕が始めた後漢王朝時代とは異なった新しい官吏登用法。 漢代の人材発掘システムは、人々の推薦で行われる「郷挙里選」だった。 これは地方官や名士が「この何某は頭が良く、忠誠心に満ちています」「こっちの何某は勉強はよくありませんが武術の腕は一品です」と推挙し、任用されていくシステムである。 しかしそれによって後漢末期は、実績も中身もないのに虚名づくりに躍起になる人間(*8)、実務能力はなく儒教的な徳目ばかりの人間がはびこるようになった。 そればかりか、郷里で推挙する地方官や名士、そして地方豪族のもとに「推挙してください」と頼み込む人間が増え、賄賂を贈るなどやりたい放題し始めた。 曹操が実務能力を求めて出した求賢令も、効果を挙げているとは言い難い状況であった。 曹丕が定めた「九品中正」とは、公平な「中正官」が人材を見極めて九つのクラスに区分し、虚名や徳目、地方有力者(豪族)の利権から分かれた、「能力主義的な人材発掘」を進めることにあった。 【文学】 その他に曹丕を語る上で欠かせない物、それが『詩』である。 父・曹操や弟・曹植と同様優れた文人としても有名で、漢文のテキストなどにも取り上げられる詩を多く残している。 曹丕の作風は、父や弟に比べ繊細優美なのが特徴。 穏やかな詩風から、中々のロマンティストだった様子。 曹操、曹植と並んで『三曹』と称され、名詩文家の代表とされた。 曹丕が編纂した中国史上初の文学論文書『典論』には 『文章は経国の大業にして不朽の盛事なり』という言葉が掲載されており、世の士大夫の矜持を示す名文句としても広く人口に膾炙した。 また、こちらも中国史上初の志怪(「しかい」言わばオカルトホラー)小説集『列異伝』を編纂・執筆されたとされている。 しかしほどんどが散逸し現在50条程しか残っておらず、その説話の中には曹丕死後の事件を扱ったものが含まれており、 晋の張華の著とする説もある。 もし、本当に曹丕が著とするのが本当であれば、皇帝が小説を書いたと言う唯一の例となる。 【後世の評価】 上記の様に内政面で治世をもたらすなど、曹操らに比べ地味ながら大きな功績を残した曹丕だが、 献帝から禅譲を行った経緯によって簒奪者の汚名を着る事が多く、また魏王朝そのものが長続きしなかったこと、ある意味でその元凶でもあることなどから、後世の評判は非常に悪い。 特に劉備を主人公にした三国志演義による蜀漢正統論の影響も手伝って、父の曹操と共に悪役として見られる事が多い。 曹植や于禁などへの冷遇の逸話も相まって、後世の批評家などからも辛辣な評価を与えられがち。 特に于禁の件については、(一応)魏を正統王朝として描いている陳寿ですら批判している(*9)。 【名君か簒奪者か】 後世での評価は酷評が多いが、一方で人格的な問題を改めれば為政者としての長所もまま多いため、長生きしていれば相当な名君になっただろう、というような評価も多い。 実際に曹丕が在位中、国内で大きな反乱などが起きていないことからも、曹丕の内政は概ね成功しており、治世をもたらしていたと言える。 曹丕の皇帝の諡、文帝の『文』とは政治に優れた君主に与えられる事が多い諡であり、曹丕の内政での功績を示している。 しかし、漢王朝の再興を目指す劉備が正義という見方が強い流れから、禅譲を強行した曹丕を簒奪者として悪とみなす考えが多いと思われる。 実際、彼が在位したのはわずか七年という短い期間であり、大きな功績を残すには時間が無かった。 彼が早世さえしていなければ、曹操をも超える名君になっていたという可能性も捨てきれないのである。 まぁ可能性という点では暴君になる可能性も当然否めないが。 とかく暴君という類の人種は強欲や陰湿であり、更に猜疑心の強い人間がなってしまう事が多い。 曹丕は後者の陰湿かつ猜疑心が強いがドンピシャで当て嵌まっている。 【甄氏との晩年】 三国無双シリーズでも登場する、曹丕の妻で絶世の美女甄氏(後の甄皇后、無双シリーズでは甄姫)。 無双では最後まで仲良く描かれているが、前述のように史実での両者の晩年はかなり悲劇的である。 甄氏は曹丕の妻になり、息子の曹叡(後の明帝)を産む。 しかし、次第に曹丕からの寵愛が薄れていき、曹丕の心は郭貴人(郭皇后)に傾いていく。 そして最後には曹丕の恨み言を述べた事で曹丕の逆鱗に触れ、死を賜る事になる。 そんな甄氏との晩年の不和の原因に関しては、いくつか興味深い説が存在する。 曹叡の父親説 曹丕の長子で2代目の魏皇帝である曹叡は、正史「三国志」において、239年に数え36歳で死んだ、とされている。 そこから逆算すると彼の生年は204年となるが、204年の8月までは、まだ母である甄氏は袁紹の息子袁煕の妻でだったのである。 曹丕に見初められて妻になった直後、妊娠が発覚し、産んだ子供が曹叡だった。 ここから、曹叡の父親が実は曹丕ではなく、袁煕だったという説が出てきた。 当然ながら当時に父親を判別する手段などがある訳でもなく、間違いなく曹叡の父親が袁煕であるという確証こそないが、曹丕の実の子だという確証もなかったのである。 それにより、猜疑心の強い曹丕の癪に触れ、甄氏との不和に繋がったという説である。 だがこの説はそもそも近代(中華民国時代)の史家である盧弼が初めて唱えた説であり、その論拠も 「曹叡は最初曹丕に冷遇されていたのは、多分実子じゃなかっただったに違いない!」「証拠は『魏略』に載ってるある文官(吉茂)に関する記述だ!」 というちょっと・・・いやだいぶガバガバなもの。 それ以前には、正史の文帝(曹丕)記、明帝(曹叡)記にある「220年、数え15歳の曹叡が武徳侯に任じられた」という記述から、206年に生まれたと逆算するのが一般的で、死亡年の矛盾は単に陳寿の記載ミスだったとされていた。 また曹叡が実際に204年内に生まれたと仮定した場合、どう考えても計算が合わないことは周囲にモロバレなはず(なにしろ甄氏が曹丕の妻になってから、204年が終わるまでは4カ月もない)だが、同時代の史料にも曹叡の出自を疑わせるような記述は全くない。 つまりぶっちゃけ相当な暴論・トンデモ論の域を出ないのだが、なぜか現代日本では「隠された事実!」みたいに思われている節がある。まあそっちの方が物語性があるし? 郭氏の陰謀説 史書の中には、文帝が体調を崩すと、郭氏は「体調が優れておられないのは、甄氏が呪いをかけているからだ」と讒言し、文帝が激怒した。という話がある。 その他にも、串刺しにされた曹丕の名が書かれた人形が甄氏の部屋から見つかり、曹丕の怒りをかった。(それを仕組んだのは郭氏)という話もある。 これらに関しては後代の書であるため、創作である可能性も高い。 【現代創作】 コーエー三国志シリーズ 軍事面を現す統率や武力はほぼ70。低くはないがぱっとしない数値で、ハッキリ言うと二流武将。 知力・政治力・魅力値は全て80台で安定しており、内政向け……というよりも、特徴のないのが特徴といわんばかりの器用貧乏。 全てのステータスが70~80で安定と考えると地味にすごいが……残念ながらゲームの駒としてはあまり目立った存在ではない。 かといって本国にふんぞり返ってもらおうとすると、低い義理と高い野望が気がかりになる困ったちゃん。 君主になっているシナリオもあるが、数年で寿命を迎えて死ぬので君主としても目立たない。 しかし14PKでは敵軍全能力ダウン+自軍士気上昇と超強力な固有戦法「活殺自在」を手に入れ、一転して戦争でも内政でもエース格として戦えるようになった。 しかし、高慢+悪名とマイナス個性を二つも抱えており、全力を出させるには大量の兵士を持たせる必要になるのが困りもの。 三国無双シリーズ 曹丕(三國無双)を参照。 蒼天航路 乱世の姦雄として、どんな人材でも使う曹操に反するかの如く、異才であっても国家に背くのであれば処刑する怜悧な統率力を以って描かれる。 己の世について「奸雄の類が棲めぬ世だ!」と断言し、曹操亡き後に曹操を追わない気概を吐く。 SDガンダム三国伝 「青き焔の孔雀」曹丕ガンダム。演者はガンダムX。 アニメは本格登場前の時系列で終わったためチョイ役だが、続編構想があったのか、声優は本家シリーズで主役経験もある阪口大助と妙に豪華な配役になっている。 父・曹操ガンダムが赤壁の戦いで行方不明になった後に皇帝として「機駕」を建国する。 曹操が多忙だったためにほとんど親子としての交流がなく、いざ曹操が帰還した際には「今さら父親面するな!」と反発。しかし曹操から「仮にも皇帝ならもっと大局を見ろ」と正論と共にブッ飛ばされ、皇帝の位を剥奪される。 「星凰剣」「威天剣」という宝剣二振りを所持しており、これらによる二刀流は劉備ガンダムすら上回る腕前であり、その上本来は「黒翼刀」による一刀流の方が得意分野でそちらの方が強い……という裏設定があったが、宝剣は曹操に皇帝の位と共に没収されるわ、その後は一刀流で戦う見せ場もないわと割と散々な扱い。 エピローグでは正式に曹操の跡を継いで皇帝に返り咲く。 三国伝公式サイトでは、司馬懿サザビーの策略により 今更になってシスタープリンセスにドハマりする (*10)姿を見せたため、ファンからは シスプリ皇帝 の渾名でネタにされて親しまれている。 キットは曹操と同じ翼マントや、ディバイダーを模した組み替え武装などシンプルながら遊びごたえのある造り……ではあるのだが、親父のパワーアップ要員としてパーツをもぎ取られる運命にあり、ここでも妙に不憫。 「追記・修正はアニヲタWikiの大業にして不朽の盛事なり」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 劉備「曹丕!我の養子になれ!」 曹丕「断る」 -- 松永さん (2013-09-14 00 35 20) あと、10年長生きしてたら三國志は終わってた。息子にも同じことが言える。 -- 名無しさん (2014-03-14 06 57 23) 詩を読むと印象が大きく変わる人物。友人の呉質に宛てて書いた手紙の訳を読んだけど、まるで乙女のような表現や気遣いに溢れててドキッとした -- 名無しさん (2015-03-31 17 47 46) 有能だけど屑だよな。早死にしたのが幸い。 -- 名無しさん (2015-03-31 19 16 21) 黄権とか孟達とかも重用されてたんだっけ。孟達はとにかく、黄権に関しては気骨が気に入ったのかな。 -- 名無しさん (2015-03-31 19 57 08) ↑↑ 内政に悪影響出してないところ見ると、主君的には中国史の中だとまだまともな印象。人間的には知らん。-- 名無しさん (2015-03-31 21 38 39) 三国志早逝が惜しまれるランキングだと上位に入れていいよな。皇帝だから影響力も強いし。ただ陳羣を厚遇していたのに反儒教的というのは疑問符が付かなくもないが(曹操にも言えるけど) -- 名無しさん (2015-03-31 23 02 12) ↑よく挙げられる「有事の際は孝や仁にとらわれることなく人材を起用すべし」ってのも逆に平時はそういう基準で人材を起用するのが普通って言ってるようなものだし実利と反する場合は儒教第一じゃなかったってだけで決して「アンチ儒教」ではないよね -- 名無しさん (2015-04-01 10 32 17) 親父がビッグ過ぎるだけで、なかなかに名君だぞコイツも。 -- 名無しさん (2015-04-01 10 54 55) 名君なのは間違いないね、でも正史三国志の文帝紀はマジで見てられない -- 名無しさん (2015-04-01 12 05 14) 献帝から皇位を簒奪したクズとか言ってるけどあのままだとほんとにどうしようもなかったから。 てか内政では結構名君してるし、人格だけでクズ君主とは評価できないはず -- 名無しさん (2015-04-01 12 10 53) 人格が良くて無能なのより、人格が悪くても有能なほうがマシだな -- 名無しさん (2015-04-03 10 55 47) 直に接しない当時の一般人から見れば名君だったんだろうよ -- 名無しさん (2015-11-03 15 04 19) 曹丕も曹叡ももう少し長生き出来たらまだ高評価だったかもしれない、だいたい友達が無双シリーズに出てないってだけで曹叡は劉禅よりも雑魚って言ったのは友達ながらこいつアホだなぁって思ったね。 -- 名無しさん (2016-02-26 05 48 18) 甘党なのはいいんだが、変な詩を書いて部下に見せるのはやめなされ。 -- 名無しさん (2016-06-18 22 31 20) 實吉達郎が執筆した三國志5の武将ファイルだと「詩人の皇帝なんて中国史には腐る程居るが、小説家の皇帝なんてのは彼ぐらい」って書かれてたね。あと曹植については割と庇ってやったりしてたとか -- 名無しさん (2017-04-10 16 39 07) 親父が「賄賂をとり人妻を寝取るような人格に欠陥のある人物でも有能ならば登用する」と言っていたのを地で行くような人物だと思う -- 名無しさん (2017-06-25 12 14 43) 政治的にやむをえなければ非道上等!!っていうのも一つのあり方ではあるけど、それでも于禁の絵事件はどうなんだろ。それならまだ死刑なり官職剥奪にしたほうが筋は通っただろうに。(実際は単なる創作の曹丕ディスエピの可能性もあるとも思うが) -- 名無しさん (2017-11-15 00 36 24) ↑2 それは劉邦の陳平へのときじゃなかったっけ?曹操にもそういう話があったのか -- 名無しさん (2018-05-23 12 02 06) 九品中正法とその悪影響を追記。もろもろ考えても名君呼ばわりには全く賛同できません。 -- 名無しさん (2018-05-30 19 01 44) ある意味劉禅の対極だよな -- 名無しさん (2018-05-30 21 47 49) 九品中正法はなぁ。あれ多分曹操や曹丕は普通に出来ることだったんじゃないかな。あの人材マニアどもは人の能力をある程度見て判断出来てたからそれが普通の人にも備わってると勘違いしたんじゃなかろうか -- 名無しさん (2018-05-30 21 59 42) 九品に関しては郷挙里選の問題点を踏まえた上で、ある程度中央からコントロールできるようにしたかったんだろ。こればかりは施行してからでないとわからない部分もあるし、それだけでどうこう言うのは可哀想だと思うなぁ -- 名無しさん (2018-05-31 23 37 17) ↑ 中央の人事掌握という意図はわかってます。しかし九品法がその役に立たないことは施行どころか理論上でも明白です。「中正官が中正とは限らない」「人間の能力なんて測定不能」というのは、ちょっと考えればわかる常識で、悪用されればどうなるかというのもそんなに難しい想像じゃない。矛盾と不可能の塊なんですよ、始めから。それに、もし役人の実態・法律運用の実情も知らずに法律を改定していたというのなら、曹丕は天下の役人の不正に気付けない暗君だったということになる。九品法のような「まともに使えない、理論が破綻した法律」を喜々として定め、その実情にも気づかなかったとすれば、曹丕は単なる愚君でしかない。「内政をうまくやっていた」というのも、実態はどうだったのか、疑わしいものです。 -- 名無しさん (2018-06-01 07 59 54) というか発案者の陳グン自体が「戦時の急場の法」と言っている -- 名無しさん (2018-06-01 08 58 04) 戦乱中で後漢から魏に移行するデリケートな時期だからこその法案で、 法を継続させたのはその後の人や国だし 元凶だからと言って数百年後のことまで責任が有るというのはどうかなあって思う ただまあ曹丕曹叡が早逝したのが九品中正法含め色々な状況や意味を変えてしまって後に響いたとは思うけどね -- 名無しさん (2018-06-01 09 57 39) 過渡期の法律としてもダメでしょアレ。戦時中で国家の権力が安定しない時期なら、なおのこと人事権なんてでかい権力を手放しちゃいけない。1度手放した権力は2度と戻らないんだから。 -- 名無しさん (2018-06-01 10 15 42) ↑それ言うと中央の人事掌握がってところに話戻るだけなんだが 曹丕の評価を暴君に落としたいがあまりに少しムキになってないか? -- 名無しさん (2018-06-01 10 42 39) 失礼いたしました。当初は「曹丕が名君と呼ばれ過ぎじゃないか?」という思いだったのですが、ムキになりました。申し訳ありません。始皇帝や李世民や康熙帝のように自ら歴史の流れを創るタイプではなく、劉邦や劉秀や南宋の高宗のように堅実に長期組織を立てるタイプでもなく、さりとて劉禅や陳の後主のような暗君でも、胡亥や孫皓のような暴君でもなく、中国史全般では「中の下か、九品無ければ中の上」ぐらいの、悪くはないが一流ではないと考えていた故です(官職を銭で売って財政再建は成功したが官界の混乱を招き、黄巾の乱の鎮圧は成功したが群雄時代を招いた後漢の霊帝が近い気がした)。しかし皆様方にご迷惑を掛けました、反省いたしております。 -- 名無しさん (2018-06-03 00 02 09) なんだこれ……九品中正法を目の仇にし過ぎだろ…… -- 名無しさん (2018-08-24 18 25 09) 編集者の偏った主観が強くでた項目だな -- 名無しさん (2018-08-24 18 56 16) 九品官人法に関する記述を削りました。たしかに曹丕が始めた法律ですが、曹丕よりずっと後の代に起きた問題まで曹丕の項目で長々と書く必要はありません。どうしても書きたければ九品官人法の項目を個別に建ててください。上のコメで言われているように曹丕を暴君に貶めたいがために記述しているように見えます。 -- 名無しさん (2018-08-24 19 24 44) ↑ GJ ぶっちゃけ前の記事嫌いだったからすげえ嬉しい -- 名無しさん (2019-04-28 00 34 33) 過去の施行法を現代から見てたたくと -- 名無しさん (2020-05-28 17 48 45) 冷酷とは言うけれど夏侯楙みたいなザ・ボンクラとも仲良かったりして却って人間味を感じる -- 名無しさん (2021-03-12 08 49 59) 内政は良かったが、外征はてんでダメだった・・・ -- 名無しさん (2021-04-09 11 23 16) 夷陵の戦いの後で疲弊してる蜀じゃなくて名目上従っていた呉から攻めようとするわ呉蜀同盟が結ばれた後に再び呉を攻めてロクな戦果も出せなかったからなからなぁ…合肥に張遼や満寵がいなかったら間違いなく呉に逆侵攻されてただろうし蜀も連動して北伐しそうだからかなり危なかっただろうね。 -- 名無しさん (2021-05-02 10 43 57) 従っていたのにというか、むしろ従っていたからこそ帝意に背く行為を続ける呉を討伐せねばならなくなったというか……なので誤断というならむしろその前、即位時に呉の祝賀と帝位承認をこそ拒否すべきだったが、大義名分的にはこれを拒否するのも難しいところ。とかく正統性にこだわる曹丕からすればその選択肢はありえなかっただろうし…… -- 名無しさん (2021-05-04 18 04 23) 曹丕曹叡までは国を維持するのに十分な君主だった。その後が驚くほどショボくなったのがね。 -- 名無しさん (2021-08-01 02 38 43) そればかりは曹叡のせい。後継者選びの時点で実権がなくなるのは目に見えてただろう。「しょぼくなった」わけではなく「後継者を選び間違えた」としか言いようがない。特にまだ建国の功臣が残ってる時代に身元がしっかりしていない子供を立てるなんて簒奪してくれと言ってるようなものだろう。 -- 名無しさん (2022-02-03 00 25 47) 無双の曹丕を見ていると、史実の曹丕の人の好き嫌いがはっきりした陰湿な性格になったのは、乱世と言う世の中であったのと、父親に一方的に嫌われていたのが大きい様にも思える(無双の曹親子は史実に比べるとそれほど不仲ではない)曹沖が亡くなった時の曹丕に対する暴言は流石に酷いよ曹操様・・・ -- 名無しさん (2023-03-04 15 39 55) 元祖ブロガーにしてスイーツ男子。あと意外にもホラーやオカルト話しが好きで実際執筆したり、編集していたとか。 -- 名無しさん (2023-04-19 00 54 19) 戦争以外何でもできる男 -- 名無しさん (2024-05-02 14 17 02) ↑それで考えると司馬懿を重宝したのも分かる気もする。存命中は軍事面はそこまで任せて訳ではないけど実際才覚はあったし -- 名無しさん (2024-05-02 14 50 28) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/192.html
編集 趙犢は、後漢後期の人物。 建安十年(205年)四月、霍奴と共に叛いて曹操側の幽州刺史と涿郡太守を殺すが、同年八月、曹操の征伐を受け、敗れて斬られた。 情報 趙犢 姓氏 趙 諱 犢 本貫地 涿郡故安県 死去 建安十年(205年)秋八月、公(曹操)がこれを征し、犢らを斬る。 年表 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 関連項目・人物 「霍奴」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -
https://w.atwiki.jp/sangokusisenki/pages/114.html
勝利条件 6ターン以内に呂布と同盟し、許昌を占領する あるいは 6ターン以内に宛を占領する 攻略 曹操を攻撃する場合、曹操が袁紹と戦って兵数が減るのでターンをかけたほうがよい。 尚、宣戦布告しても曹操軍は動かないので毎ターン軍を移動させれば龍刀槍がある濮陽までギリギリ軍を進めることができる。許昌は平地と川があるので騎馬、槍、水軍兵がいると心づよい。 ・宛を攻める場合は呂布軍は一部隊しかいないので陳宮に挑発されないように注意しよう。陳宮など厄介な武将は捕らえておこう。 ・許昌占領でアイテム・・・・青虹の剣 ・濮陽占領でアイテム・・・・龍刀槍 捕捉 陳宮・・・・あまり目立たないが有力な軍師の一人。兵科は歩兵、弓兵。戦法はほぼ知謀系(陷穽を覚えないが挑発を覚える)と挟撃、椅角など。知謀70以上で秘策大混乱を使えるため愛情を込めて(建設兵にして)育てればいざ軍師が足りないときにかなり役立つ。(荀イクがいればいらないなんて言ってはいけない。) 狂虎 呂奉先 前←→次 許昌を占領呂布、宮廷乱入 宛を占領敵は呂布と曹操
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/184.html
編集 眭固(または畦固、睢固)は、後漢後期の人物。 黒山賊の将の一人(*1)とも、黄巾の乱以後に黒山とは別に蜂起した賊将の一人(*2)ともいう。 後に張楊の将となる。張楊を殺した楊醜を殺して袁紹に与したが、曹操の遣わした史渙・曹仁に攻撃されて斬られた。 情報 眭固 姓氏 眭 諱 固 字 白兔(元進?) 事跡 黄巾が起こると、各地で叛乱が続発し、山谷の間に立て籠もって数え切れないほどだった。眭固(畦固)もその一人として蜂起した。 初平二年(191年)、黒山賊の于毒、白繞と共に十余万の衆で魏郡、東郡を攻略し、東郡太守の王肱は防御できなかった。行奮武将軍の曹操が兵を率いて東郡に入り、白繞が濮陽県で破れた。 初平三年(192年)、東郡太守となった曹操に要撃(迎撃)され、大破された(*3)。 後に大司馬張楊の将となった。 建安三年(198年)十一月、同じく将の楊醜が張楊を殺し、その衆を奪って曹操に与した。 建安四年(199年)春、眭固は楊醜を殺し、その衆をもって袁紹に属し、射犬に駐屯した。張楊の故の大司馬長史の薛洪・河内太守の繆尚を守りに留め、自ら兵を率いて北に袁紹を迎えて救援を求めようとした。 四月、曹操が北上して河水に臨み、史渙・曹仁を使わして渡河させ、眭固を邀撃させた。眭固と史渙らは犬城で遭遇した。 時に巫が有って眭固を誡めて曰く、 「将軍の字は兔(うさぎ)にして、この邑の名は犬です(*4)。兔が犬を見れば、その勢からして必ず驚となります。宜しく急ぎ移去すべきです」 眭固は従わず、遂に戦って大破され、斬られた。 曹操が河水を渡って射犬を囲むと、薛洪・繆尚は衆を率いて降伏し、封じられて列侯となった。 「後漢書集解」清代の漢学者惠棟の説を引き、官渡の戦いで淳于瓊の陣営が破れた際に斬られた督将の眭元進とは眭固のことだとする。 年表 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 黒山賊 関連項目・人物 「眭固」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -
https://w.atwiki.jp/san-puz/pages/275.html
【双雄列伝】曹仁&曹洪 2014/01/20(月)0 00~2014/2/2(日)23 59 期間限定のクエストとして初登場 回復ユニット「桃」が出現しないクエストです 公式サイトのクエストに関する記事 【開催履歴】 2014/04/30(水)00 00~04/30(水)23 59 2014/07/08(火)00 00~07/12(土)23 59 2014/09/03(水)18 59~09/08(月)18 59 2015/03/01(日)19 00~03/07(土)18 59 超級に低確率で★6【鉄車】徹里吉&越吉が出現し、倒すと確定ドロップ(公式サイトの徹里吉&越吉に関する記事) 2015/06/01(月)19 00~06/07(日)18 59 超級に低確率で★6【鉄車】徹里吉&越吉が出現し、倒すと確定ドロップ 主なドロップ武将 武将名 同技能(※)武将 備考 【重厚なる将】曹仁↓覚醒後【堅忍不抜】曹仁 技能LvMaxまでの必要数:51体(2倍時26体) 【男伊達】曹洪↓覚醒後【不羈奔放】曹洪 技能LvMaxまでの必要数:37体(2倍時19体)※同勢力同士の強化の場合 【大斧】徐晃↓覚醒後【不敗の将】徐晃 ほか(一覧) 技能LvMaxまでの必要数:48体(2倍時24体)※同勢力同士の強化の場合 于禁(覚醒後、右と同技能に) 技能LvMaxまでの必要数:56体(2倍時28体) (※)「効果が同じ技能」を意味し、強化の素材選択時に「技能大」と表示される武将 初級 覇者の軍の中枢 【難易度:6、体力:10、合戦:5】【優劣:群←→魏】 【獲得目安】資金:、EXP: 【ミッション】コンティニューなしで攻略!(報酬:【魏軍大指南】司馬徽×1体) +【序文】 曹仁と曹洪。双方共に曹操とは、直接の血の繋がりのなり従兄弟であるが、早くから曹操に付き従い、実質的な軍の主力として多くの戦いで覇道を支えてきた。 「曹洪め、うまく乗ってきたぞ。」 曹操に謀殺された父・馬騰の仇をとるべく、馬超は兵を興す。要害潼関を任された曹洪は挑発に乗り、一敗地にまみれ、馬超は余裕を持って曹操本隊を迎えた。 +【後記】 潼関近くで正面から激突する、西涼軍と曹操軍の本隊。激戦は、先陣をきる馬超の活躍により西涼軍が制しつつあった。 「あれに見えるは、父の仇、曹操!」 中央を突破した馬超は曹操に追いすがる。 しかし、すんでの所でその間に割って入ったのは、曹洪だった。汚名を返上すべく奮戦する曹洪に、馬超は一旦、引かざるを得なかった。 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 使用技能 備考 魏 魏軍剣兵 1 146 ★1魏軍剣兵Lv2をドロップ 魏 魏軍兵長 2 219 ★2魏軍兵長Lv2をドロップ 魏 楽進 2 415 ★2楽進Lv3をドロップ 魏 張コウ 2 744 ★2張コウLv3をドロップ 魏 于禁 3 443 ★2于禁Lv2をドロップ B5 魏 曹洪 2 707 「即戦即決」707&次の攻撃ターン数が1になる ★4曹洪Lv?をドロップ 魏 曹仁 2 407 高防御 「正々堂々!」技能封じ3人3ターン「重々しき打撃」801 ★4曹仁Lv?をドロップ 中級 覇者の軍の中枢 【難易度:14、体力:16、合戦:7】【優劣:群←→魏】 【獲得目安】資金:、EXP: 【ミッション】コンティニューなしで攻略!(報酬:【魏軍超指南】于吉×1体) +【序文】 曹仁と曹洪。双方共に曹操とは、直接の血の繋がりのなり従兄弟であるが、早くから曹操に付き従い、実質的な軍の主力として多くの戦いで覇道を支えてきた。 「目の前で城など作らせるか。」 数戦の後、曹操本隊と河を挟んでの睨み合いに入った馬超。対岸で曹仁が普請し、潼関に対する城を築こうとしているが、馬超とてそれを見逃す気は無かった。 +【後記】 築城途中の度重なる夜襲、それを逆手にとられての、曹操軍伏兵との戦い。あるいは、油と火、河水を用いての奇襲。 馬超はありとあらゆる手を用い、曹仁の野戦築城を妨害した。しかし、寒さも厳しくなったある朝、彼は愕然とする。 「氷! 氷で固めた城か!」 名も無き老人の献策により、曹仁はとうとう、城を築き上げていたのだった。 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 使用技能 備考 魏 魏軍剣兵 1 663 魏 魏軍兵長 2 936 魏 楽進(★2) 2 943 ★2楽進Lv3をドロップ 魏 楽進(★3) 2 1201 ★2楽進Lv3をドロップ 魏 張コウ(★2) 2 1201 ★2張コウLv3をドロップ 魏 張コウ(★3) 2 1622 ★2張コウLv3をドロップ 魏 于禁(★2) 3 1124 ★2于禁Lv3をドロップ 魏 于禁(★3) 3 1324 ★2于禁Lv3をドロップ 魏 賈ク 3 ★2賈クLv?をドロップ B6この中から3人 魏 楽進(★3) 上記参照 魏 張コウ(★3) 上記参照 魏 于禁(★3) 上記参照 魏 徐晃 4 2376 B7 魏 曹洪 2 1790 「即戦即決」1790&次の攻撃ターン数が1になる ★4曹洪Lv5をドロップ 魏 曹仁 2 1264 高防御 「正々堂々!」技能封じ3人3ターン「重々しき打撃」???? ★4曹仁Lv5をドロップ 上級 覇者の軍の中枢 【難易度:25、体力:24、合戦:10】【優劣:群←→魏】 【獲得目安】資金:、EXP: 【ミッション】コンティニューなしで攻略!(報酬:【魏軍超指南】于吉×2体) +【序文】 曹仁と曹洪。双方共に曹操とは、直接の血の繋がりのなり従兄弟であるが、早くから曹操に付き従い、実質的な軍の主力として多くの戦いで覇道を支えてきた。 冬の間だけのものとはいえ、立派な根拠地を持つに至った曹操軍を相手に馬超は攻めあぐねていた。そこに更なる凶報が届く。 「なに! 後方に曹洪の軍だと!」 +【後記】 氷の城という根拠地を得た曹操軍の動きは早かった。曹洪率いる多数の兵が密かに渡河、気づいた時には血気盛んな曹洪の指揮の下、補給路が大きくかき乱されていた。 「これは、一時休戦を申し出た方が良いかも知れん。」 「確かに、所詮は氷の城。時が経てば不利になるのは曹操側だ。」 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 使用技能 備考 魏 魏軍剣兵 1 976 ★1魏軍剣兵Lv5をドロップ 魏 魏軍兵長 2 2070 ★2魏軍兵長Lv5をドロップ 魏 楽進(★2) 2 2018 ★2楽進Lv5をドロップ 魏 楽進(★3) 2 2618 ★2楽進Lv5をドロップ 魏 張コウ(★3) 2 2627 ★2張コウLv5をドロップ 魏 于禁(★3) 3 2585 ★2于禁Lv5をドロップ 魏 賈ク 3 ★2賈クLv5をドロップ 魏 徐晃 4 ★3徐晃Lv5をドロップ B5 魏 魏軍剣兵 x2 上記参照 魏 楽進(★3) 上記参照 魏 張コウ(★3) 上記参照 魏 于禁(★3) 上記参照 B9 魏 夏侯淵 1 2047 ★3夏侯淵Lv?をドロップ B10 魏 曹洪 2 3504 「即戦即決」3504&次の攻撃ターン数が1になる ★4曹洪Lv7をドロップ 魏 曹仁 2 1972 高防御 「正々堂々!」技能封じ3人3ターン「重々しき打撃」5503 ★4曹仁Lv7をドロップ 超級 覇者の軍の中枢 【難易度:40、体力:40、合戦:10】【優劣:群←→魏】 【獲得目安】資金:、EXP: 【ミッション】コンティニューなしで攻略!(報酬:【魏軍超指南】于吉×6体) +【序文】 曹仁と曹洪。双方共に曹操とは、直接の血の繋がりのなり従兄弟であるが、早くから曹操に付き従い、実質的な軍の主力として多くの戦いで覇道を支えてきた。 「おのれ、韓遂! 謀ったな!」 炎の罠の中で馬超が吠える。休戦の弛緩した空気につけ込み、曹操軍の仕掛けた離間の策。馬超の短慮が韓遂を追い込み、西涼軍は四散五裂した。 +【後記】 「まだ追ってくるか……!」 馬超は韓遂を信じられなくなり、結果、韓遂を本当の裏切りに走らせてしまった。 曹操の仕組んだ罠から辛うじて脱したものの、曹仁・曹洪の執拗な追撃により次々と足場を奪われ、より山中へと逃れざるを得ない馬超。彼は曹操軍の人員、陣容の厚さに絶望していた。 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 使用技能 備考 魏 魏軍剣兵 1 1821 ★1魏軍剣兵Lv5をドロップ 魏 魏軍兵長 2 3209 魏 楽進 2 4005 100 ★2楽進Lv8をドロップ 魏 張コウ(★2) 2 4031 ★2張コウLv3をドロップ 魏 張コウ(★3) 2 4841 ★2張コウLv8をドロップ 魏 于禁 3 5420 ★2于禁Lv8をドロップ 魏 賈ク(★2) 3 2801 ★2賈クLv5をドロップ B5 魏 魏軍剣兵 x2 上記参照 魏 楽進 上記参照 魏 張コウ(★3) 上記参照 魏 于禁 上記参照 B8この中から4人 魏 楽進 魏 張コウ 魏 于禁 魏 賈ク(★3) 3 6111 ★2賈クLv8をドロップ 魏 徐晃 4 8501 113880 ★3徐晃Lv8をドロップ B9 魏 夏侯淵 1 3007 307095 3001 ★3夏侯淵Lv10をドロップ B10 魏 曹洪 2 6507 220170 「即戦即決」6507&次の攻撃ターン数が1になる ★4曹洪Lv10をドロップ 魏 曹仁 2 5055 5985 高防御 「正々堂々!」技能封じ3人3ターン「重々しき打撃」9999 ★4曹仁Lv10をドロップ コメント 曹仁は甄姫の技能上げにする方がいいのでしょうか? 必殺技の仕様が変更されるし、今後の見通しが分からないので、皆さんはどうしてますか? -- 2014-02-02 01 42 19 ↑自分は甄姫持ってないので曹仁の技能上げをしてますが、両方持ってたら悩むとこですね。 ステは、HPは曹仁、攻撃と回復は甄姫の方が高いようですね。兵種は甄姫が鬼謀、曹仁が剣兵ということでそこらへんの情報をもとに決めなければなりませんね。 あとはガチャ限である甄姫がこのままではステ的にかわいそうだから今後★6への進化があるかもと考えて甄姫を育てるとか…。 -- 2014-02-02 19 38 07 上級で徐行ドッロプ -- 2014-02-16 00 01 32 ★反映 -- 2014-04-30 07 26 46 4日間上級回って獲得0だった。体力が無駄になった。 -- 2014-07-10 10 54 47 ↑今初めて曹洪の魂を獲得出来た。嬉しい。 -- 2014-07-10 12 50 46 ↑おめでとうございます! -- 2014-07-10 16 49 38 ありがとうございます -- 2014-07-11 12 05 01 新武将追加されてたの知らなかった -- 2015-03-04 23 51 29 バレンタインエverエンキのおかげで超級をダメージ無しで回れるようになったけど、徹里吉&越吉が全然でない。 -- 2015-03-06 16 40 31 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sangokusigouketuden/pages/12.html
エピソード 第1章 英雄たちの義挙 魏 - 曹操の進撃 曹氏は漢の相国だった曹参の子孫。曹操の父曹嵩は、元々夏候氏だったが、宦官曹騰の養子となった。 曹操は、宦官の孫ということで蔑まれたこともあり、放蕩な少年時代を過ごしていた。しかし、 時の知識人、橋玄と出会い励まされてからは、勉学に励むようになる。 有名な観相家、許劭は曹操を “治世の能臣、乱世の奸雄”と評し、彼はそれを喜んだという。 二十歳の時、孝廉に推挙され、洛陽北都尉に任ぜられると、その厳格さで威名を轟かせた。 その後騎都尉となった曹操は一族の夏候惇らともに黄巾賊の鎮圧に乗り出す。 蜀 - 桃園結義 中山靖王劉勝の血筋を引く劉備は、父を早く亡くし、母と共に筵を織って生活していた。 筵を売り歩きながら見聞を広めた彼は、天性が温厚で、口数が少なく、周囲から厚い信望を得ていた。 黄巾の乱が起きると関羽、張飛と義兄弟の契りを結び、世を正すため戦いに身を投じていくことになる。 「我ら三人、生まれし時は違えども、願わくば同年、同日、同時に死せん」 呉 - 江東の虎 孫堅は、兵法家孫武の子孫といわれる。 17歳のとき数十人の海賊を退治したことで勇名を轟かせ、官僚となってからは、 会稽郡で発生した許昌の乱を鎮圧するなど功績をかさねた。 世が乱れが大きくなると、自らの軍の強化に努め、黄巾の乱が起きると、その鎮圧に動き始める。 おみごとです^^さんごくしさいこう^^さいこう^^ -- 名無しさん (2007-11-27 19 49 35) 応援してます~ノ -- FUSO (2007-11-28 17 19 41) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushiden/pages/109.html
rank4/軍師 固有:駆虎呑狼 威力:- 効果:相手全員の防御と知力を下げる。 lv 1 [兵力] 17 [武力] 8 [知力] 15 [防御] 12 [命中] 10 [素早] 8 [詳細] 曹操に仕え、戦略・政略共に優れており王佐の才を持つと称され尽力した。人物眼にも優れ様々な人材を推挙し曹操の力となり数々の功績を挙げた。しかし、自身の漢王朝を敬う姿勢と曹操が魏公となろうとする国内の情勢を憂い、自ら命を断ったと言われている。